考えることをやめないために

私は小学校でも中学校でも基本的に先生が好きでした。

だから、褒められたいし認められたくて、先生の話や授業で習ったことを素直に吸収してきた。その中で、「私は(同年代の)他の子たちよりしっかり自分の意見を持ってるんや!」みたいな気分でいたんです。苦笑
それが、大学に入って崩れた。自分の意見に反論してくる人と出会ったときに、それはいとも簡単に。借りものの価値観だからすごく脆かったんですね。
私が通ってた学校には、子どものために一生懸命な先生はたくさんいた(だから先生たちが好きだった)けど、いろんな価値観や選択肢があるんだってことを見せてくれた人はいなかった。先生の求めてる「正解」がいつもチラついてて、それを疑うこともせず、自分の頭で考えるということをあまりしてこなかった。
自分で考えるってことは、やりだしたらすごく楽しくて、自分の感じていることが言葉になったときの解放感ってすごくって、そうやって自分が世界や社会とどんどんつながっていく感じがしました。
先生は、何でこの心地よさを教えてくれなかったのか。
自分の頭で考えるってことをするからこそ、社会の中で自分が何をして生きていくのかを、本当に見つめられるんだと思っています。主体的に生きていくために必要なことだと。
それを伝えてくれなかった学校って何のための場所なんだろうと、そのとき思ったのです。(今考えると「人のせい」にしてたなと思いますが。笑)

大学生になって、母校のボランティアをやったり、卒業して、短い間だったけれども実際に教師として現場で働いて分かったのは、「ああ、先生たちもしんどかったんだ」ということでした。
余裕がなくて、縛られてて、本当は力があるはずなのに、パワーを奪われてしまってる。
それから、学校っていうところは、毎日同じようなことを繰り返すから、なかなか刺激がなくって、視野も狭くなりやすい。
私は、実際教師をやって、これって正しいの?っていう疑問がたくさん湧いたけど、一つひとつ立ち止まる余裕なんてなくて、日常の仕事をこなさなきゃいけない。

先生同士で自分の抱えてる違和感や行き詰まり感を出しあって、「どうしていこうか?」っていう議論や対話ができる現場ならまだいいけど、そういうところは多くなくて、たくさんの人に囲まれながら、実は孤立してる先生がたくさんいる。

一人でも、踏張ってがんばれるスーパー先生はそうはいない。夜回り先生みたいな人は稀です。

しかも学校の先生は、学校以外の教育のかたちを知らない。
それって苦しさを倍増させると思います。学校の仕組みやスタイルが「こういうもんだ」っていうところからじゃ、選択肢がすごく狭い。もっと広い選択肢が見えたらちょっと楽になれたり、がんばれる!

日々の忙しさや疲れのせいにして、考える、ってことをやめてしまうことで、結局のところ、もっと苦しくなってるんじゃないかと思うのです。

教育に関わる人は、子どものために、思考を止めちゃいけないと思う。
どんな教育を創るのか、子どものために何を為すのか、自分はどんな未来を描くのか、時々休んだり立ち止まったりしながらでいいけど、ずっと考え続けていく仕事だと思う。
だから、一人ではなく、多様な立場や価値観で教育に関わっている人たちがつながり、支えあい、刺激しあいながら、自分自身と教育のあり方を考えることができる新しい場所が必要だと思います。えらそうなことを書いてるけど、私自身、そういう場がほしい、ってことです。

だから、CORE+は来年秋から、コアカレッジという事業を始めることにしました。
先生だけじゃなく、多様な立場から子ども・教育に関わっている人が、サポーターに支えられながら学びあうコミュニティです。

詳細はまた書きます。