「学力」なんていらないんじゃない?

1年生ではコレをやって、2年生ではこれをやって・・・っていうみんな同じ時期に同じスピードで、「この知識を頭に入れないといけない」っていう、そういう学力はもう要らないんじゃないかと思う。
「自分の人生を生きる」という山を登るための道具にあたるのが学力だとすれば、それぞれの山を登るために必要な道具はそれぞれに違う。自分にどんな道具が足りていないかは山に登りながら気づくのであって、気づいた時に入手すればいい。
誰にでも、最低限いる道具っていうのはあるかもしれない。
読み書き、四則計算ぐらいはそうかもしれない。
その線引きは難しいけど、少なくとも今、山を登るためと称して意味も分からないまま道具集めをさせられ、萎えてしまってディスパワーされてる子どもがすごくたくさんいるように思う。学ぶことは苦役でしかなく、将来のための預金行為になっている。

日本の教育システムにはレールが一本しかない(ように見える)。
だからそこから降りることっていうのは本人もそうだろうけど、親も教師もすごく怖い。もっと多様な教育が認められ、それぞれの子どもたちが自分に合う学び方を選べればいいと思う。
で、「いらないと思ってたけどやっぱり必要だった!」と思った内容は、いつでも学び直せる再学習の機会があればいい。

そういう社会にしたい。
そしたらもっと子どもも大人もが変に苦しめられずに、きっと幸せになれる。