北海道で得た刺激のお裾分け「べてるの家篇」

北海道に行ってから、あっと言う間に一月経ってしまいました。
下書き保存したままになっていたものを、「とりあえず」表に出しておきます。
まだいろいろと、整理できていないところも多くて、読み苦しいところもあるかと思いますが。


まずはべてるの家から。
http://www.bethel-net.jp



●こんな行程で過ごしました。
ニューべてるで朝ミーティングに参加。
(※ズンドコ節で歓迎を受ける)

昆布の作業を手伝い

しゅんくんにべてるの説明を受ける

カフェぶらぶらでランチ

終了


※「氷川きよしのズンドコ節」の替え歌。
 『♪ズンドコ節 べてる替え歌』
 ただいま参りました私たち パパヤ
 大阪のみなさんこんにちは
 どんなことか分かっても
 決してびっくりしないでね〜


 いやじゃありませんか分裂症
 幻聴幻覚妄想で
 いてもたってもいられずに
 自分の体に傷つける
 ズンズンズンズンドコ


 いやじゃありませんか不眠症
 夜中わさわさ音立てて
 家族のみんなに世話かけて
 周りはみんな寝不足だ
 ズンズンズンズンドコ(大阪!)


 いやじゃありませんかアル中は
 朝に昼に夜まで
 一日中飲んだくれ
 おまけにお店にツケ作る
 ズンズンズンズンドコ(べてる!)


 いいじゃありませんか精神病
 神からもらった宝物
 普通の人とは違っても
 みんな立派な病気持ち


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「ニューべてる」に行くべきところ、間違えて居住スペースである「べてるの家」に行った私を、「おめーどこから来たんだ?」「まちがってるべ、ここじゃなくてニューべてるだ」と車に乗せてくれたおっちゃんは、後々わかったのだが、べてるの有名人きよしさんだった。販売部長でぶらぶら族。


きよしさんのあったかさ、いいかげんさ、オープンさ。
しゅんくんのまじめさ、丁寧さ。
半日しか一緒にいなかったのに、べてるで出会った人たちは好きになってしまう人たちだった。


べてるの包摂力はすごい。
今の社会で支配的な価値観の中では、完全に「いやいや、ナシだろ」と切られちゃうようなことを、すんなりと受け入れてしまう。
むしろ、おもしろがって、それをユーモアや豊かさにしてしまえる、そんな風土がある。
いい意味で、「いっちゃってる」取り組みだと思う。そのいっちゃってるっぷりが、いいなあ!と心底うらやましい。
自分がいろんな固定観念に縛られているのが、よくわかった。


たとえば、道路で寝るおっちゃん↓(ニューべてるの壁に貼ってある写真)


その横に、こんな賞状が↓(笑)


取り組みとしては、こんなのもある。
「幻覚&妄想大会」
http://bethel-net.jp/tokushu20.html


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「みんなが当事者」とか「支援者と当事者の垣根なく」とか言ったって、結局支援ー被支援の関係は読み取れちゃうことが多い。
でも、べてるは本っ当に、誰が支援者で、誰が当事者か分からない。
私が勝手にこの人はスタッフ=支援者だろうと思ってた人が、「僕は幻聴さんがくるんです」っておっしゃったり、被支援者だと思ったきよしさんは販売部長だったり。(実際、きよしさんのキャラはもはやべてるのブランドになっている)


自分の価値観がガラガラと崩れていくような感覚。
でもそれが全然不快でなく、むしろ気持ちよかったー。


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べてるが運営する「カフェぶらぶら」は辻信一さんもかかわって、ストローベイルでできている。おしゃれ。


こちら、幻聴パフェ。チョコクッキーでできた幻聴さんがいる。かわいい。


きよしさん、しゅんくん、辻ゼミから見学に来ていた学生さんと。


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べてるの家にはべてる語録なるものがある。これがまたすごい。


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●「べてる語録」


べてるに染まれば商売繁盛
偏見差別大歓迎
場の力を信じる   
昇る人生から降りる人生へ
弱さを絆に   
三度の飯よりミーティング
公私混同大歓迎   
苦労を取り戻す
病気に助けられる   
安心してサボれる職場づくり
それで順調   
幻聴から「幻聴さん」へ
弱さの情報公開   
自分でつけよう自分の病気
リハビリテーションからコミュニケーション   
そのまんまがいいみたい
べてるの家の無責任体制   
利益のないところを大切に
やすらぎへのお手伝い   
勝手に直すな自分の病気
べてるに来れば病気がでる   
幻聴鑑定団「いい病気してますねぇ」
手を動かすより口を動かせ   
過疎も捨てたもんじゃない
友だちの出来る病気、分裂病   
冷たい風がふいてきたら暖かくして返そう
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べてる語録はどれもおもしろいけれど、その一つに、「偏見差別大歓迎」というのがある。
びっくりしたけど、ぼんやりと、意味が分かった。べてるは、差別をする人と闘わないんじゃないか。
差別する人すら、包摂して、排除しない。しなやさとやさしさと、寛容がべてるの味なんだと。


いまの私は、いいかげんさやいかがわしさ、差別や偏見、などを許容できない。
ある意味まじめなんだと思う。物事に、白黒つけたいんだろう。


私は地元が大好きだけど、大嫌いなのだ。視野の狭さが。閉鎖性が。
部落差別をしたら怒り狂うのに他の差別には無頓着だったり、平気で差別的な発言をする。
で、自分は人権を守る人間だと、思って疑わない。そんな人は少なくない。


それを許せない私を、否定する必要はないと思う。別に認めなくていいと思う。
でも、その側面だけで、人を排除しないようにはなりたい。
ぶつけられるようになって、そんな人たちと共存、共生できるようになったら、私は地元でもやっていけるのではないかと思う。


また加筆修正するかもですが、とりあえず投稿。えい!

みのお市民人権フォーラム26th

 12月3日(土)4日(日)開催!


      いっさいの差別を許さないために
      話す、語る、伝える、分かち合う


☆.・━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━・☆★

       みのお市民人権フォーラム26th

☆.・━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━・☆★
    http://www.geocities.jp/jinkenforum_minoh/


《《 全体会は貧困問題に挑みつづける活動家、湯浅誠さん。

  そして、北芝解放太鼓保存会「鼓吹」の熱演!《《《


     ★☆☆・26thフォーラムテーマ・☆☆★

         がんばるのは私たち

        “今、自分ができること”

       〜であう 考える 行動する〜

・・・

 2011年3月11日、東日本を襲った大地震
 かつて体験しない大災害から「日本の危機」が叫ばれ、
 いつしか「がんばろう」のスローガンが日本全土をおおう。

 しかし震災から数ヶ月がすぎた今、なおも日常の戻らない
 被災地の姿を、私たちはすりこまれた「がんばろう」という
 言葉の影に追いやってはいないだろうか。

  「がんばろう」は誰にむけられたことばだろう?

  「がんばる」のは当事者だけ?

 被災地のこと、人権のこと、参加者一人ひとりが
 「自分」のこととしてとらえ、考え、行動するきっかけと
 なるように…

 今年26回目となる人権フォーラムを開催いたします。



 ┏■ 全体会
 ┗┛ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

  12月3日(土)PM12:30開場/1:00開演

  場所:グリーンホール 大ホール


  ◆◇ 講演「震災と貧困から考える、社会と人権」 ◇◆

  講師:湯浅 誠さん Makoto YUASA(内閣府参与)


震災によって厳しい状況下におかれた被災地では、半年をすぎた
今も多くの問題が山積みになっています。しかしそれらの問題は、
けしてあらわになったにすぎません。

90年代より貧困問題に関わり、社会的弱者の問題に取り組んで
きた立場から、いま被災地に、日本社会に必要なこととは何か?
を問いかけます。



 ・・☆☆☆ 箕面発!響け被災地へ!

   東日本大震災復興支援チャリティーコンサート ・・☆☆


    演奏:北芝解放太鼓保存会 鼓吹


「鼓吹」にとって15周年の節目になる年に起こった東日本大震災
津波や火災によって多数の尊い命を奪われながらも復興に向けて
懸命に生きる被災地の姿は、差別に苦しめられながらも力強く
打ち続けられてきた部落の伝統文化「太鼓」と響きあいました。

箕面から東日本へ、今こそ「太鼓」のパワーを被災地へとどけたい!

北芝の思いを打ち続けてきた「鼓吹」が、「人権フォーラム」を
拠点に、支援の輪を広げます。



 ┏■ 分科会
 ┗┛ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ◎3日(土)

 ▼第1分科会【宗教】

  [ 東日本大震災! その救援のあり方と宗教活動 ]

   PM5:30開場PM 6 :00〜/グリーンホール・1F大会議室


 ◎4日(日)

 ▼第2分科会【地方自治

  社会を変えるため動く!
   −人権の息づくまちづくりをめざして− 

  AM9:30開場AM 10:00〜/市民活動センター多目的室


 ▼第3分科会【女性】

  震災の中の“女性”−支援者からのメッセージ− 

  AM9:30開場AM 10:00〜/文化・交流センター・8F大会議室


 ▼第4分科会【教育(こども)】

  セクシュアル マイノリティってなに?
   〜子どもたちを取り巻く、多様な性について知ろう〜 

  AM9:30開場AM 10:00〜/らいとぴあ21・3Fホール


 ▼第5分科会【障害者】
 
  頼りになるのは地域のつながり−災害時の受援力に学ぶ− 

  PM1:00開場PM 1:30〜/ライフプラザ・2F大会議室


 ▼第6分科会【在日外国人】

  外国につながる若者達が語り合う
  『今なら言える。あのとき伝えたかったこと・・・。』

  PM1:00開場PM 1:30〜/らいとぴあ21・3F視聴覚室


 ▼第7分科会【部落】

  チャレンジのプロセスでつながる『もう一つの部落解放運動』

  PM1:00開場PM 1:30〜/らいとぴあ21・3Fホール


 ┏━━━━━━┓
┏┫  参加費  ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃┗━━━━━━┛                   ┃
┃     ★今年初!分科会フリーパス★        ┃
┃                           ┃
┃《チケットをお持ちの方はすべての分科会に参加できます》┃
┃                           ┃
┃   ●全体会+分科会フリーパス:1,000円       ┃
┃   ●分科会のみ(フリーパス): 500円       ┃
┃                           ┃
┃  ※障害者市民・高齢者市民の介護者は1人無料    ┃
┃                           ┃
┃  ※18才以下はすべて無料             ┃
┃                           ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛


 ●全体会、各分科会に手話通訳、要約筆記をご用意します。

 ●一時保育(ただし就学前の子ども)、外国語通訳、
  点字資料の必要な方は、事前に事務局までお申し込みください。
  (申込期限:11月20日



━━《お問い合わせ・お申し込み》━━━━━━━━━━━━━━━━
 ̄ ̄               ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 □ みのお市民人権フォーラム26th実行委員会 事務局
 □ 箕面市萱野1-19-4 らいとぴあ21
  (萱野中央人権文化センター)
 □ TEL 072-722-5838/FAX 072-722-8042
 □ MAIL jfm@hcn.zaq.ne.jp
 □ URL http://www.geocities.jp/jinkenforum_minoh/
 □ BLOG http://jinkenforum-m.seesaa.net/
________________________________
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


【主催】
  みのお市民人権フォーラム26th実行委員会

【後援】
  箕面市箕面市教育委員会、大阪私立学校人権教育研究会

スローダウンなう

たいしたインプットもできていないのに、ずっとアウトプットをしていると、毎回「過去の自分」が考えたこと、感じたことを話すことになる。
だんだん「ほんとにそういうことを、あの時感じたっけ?」という感じで、言葉に実感が乗らなくなってしまう。
すると、当時感じたり考えたりしたものが色あせて、多分すごく大切なものだったのに、ちんぷになってしまう。せっかくイキイキしていた感覚を、安売りしているような気持ちになる。自分が人をだましているような気がしてくる。


私は、人を巻き込むことをしてきたつもりだけど、果たしてうまくやれてきたかと問い直してみると必ずしもそんなことはない。
巻き込んで「ほったらかし」だったり、巻き込んで「思いを共有しきれない」ということが多かった。
たくさん巻き込めばいいってもんじゃない。
コアなところは、思いを共有できる人としっかり議論して、ビジョンを持ちたい。
また、巻き込んだ人たちを単にマンパワーとして「やってもらう」んじゃなく、仲間になりたかったのに、そういう動きができない。
これは私の課題でもあり、乗り越えたいことでもある。


家族や友だちや同僚や、身近な人間関係を、大切にできていないのに、人のために、社会のために、って活動している自分は違うと思う。もう少し、丁寧に人と接することをしたい。


暮らしもすごく消費的になっている。「時間がない」という言葉を言い訳に、コンビニにお世話になり、タクシーに乗り、ストレスの発散に物を買い・・・。
自分がガツガツ動いてエネルギーを消費している分、生活にエネルギーを注げない(注ぐ気にならない)から、アウトソーシングしているという感じ。
これって、よくないスパイラルだ。
私が変えたいと思っている社会の、構造の中で動いてしまっているというか・・・。
もっと、ここから降りたいと頭では思っているのに、できてない。
もっと、人や世界とのつながりを感じながら、地に足ついた生活がしたい。


そんなわけで、最近、意図的にペースを落として暮らしています。
家事を少しずつがんばっています。
本を読んだり、音楽を聞いたり、人とゆっくり話したりしています。

少しずつ、枯れてた言葉が、またあふれはじめて、取り戻せてきている気がします。

古市さんの「希望難民ご一行様」はとてもおもしろかった。だがしかし。

つい最近、twitter古市憲寿さんの存在を知った。友達が下記のインタビューをリツイートしていたのだ。それがこれ↓


●「若者はもっと「自己中」になって社会を変えろ
  〜「絶望の国の幸福な若者たち」著者インタビュー〜」
  http://news.livedoor.com/article/detail/5973806/

自分と同い歳であることと、自分を含むイマドキの若者のことを社会学の視点から語ろうとしていること、等身大で誇張がなく、イデオロギーに染まらない語り口に惹かれ、また、処女作が私も参加して大きな影響を受けたピースボートを題材にしていることで関心がさらに高まり、図書館で取り寄せてもらい「希望難民〜」をさっそく読んでみた。

希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)

希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)

はっきり言って読書は苦手だ。頻繁に読んでる途中で「もういいや」と満足してしまったり、入り込めなくて「やーめた」となったりするのだが、今回は関心がドンピシャだったことと、非常に読みやすい文章であったことで、いっきに読めてしまった。私にしてはめずらしい。
全体として、ピースボートを特に否定するでも賞賛するでもなく、淡々と「観察」しているような、ニュートラルな立ち位置のとり方に、私は好感を持った。


この本は、世界一周の船・ピースボートに、東大院生:筆者がパッセンジャーとして乗り込み、一緒に過ごした同年代の若者たちを参与観察・調査をしたもの。修論がベースになっている。
いい大学に入って、いい会社に入ったら幸せが待っているというような「大きな物語」を持てず、寂しさと貧しさの問題:現代的不幸を抱える若者たち=希望難民たちがピースボートにはたくさんいる。(ご一行様、と言えちゃうぐらい)
若者たちはピースボートというコミュニティの中で仲間と承認を得ることで、「自分探し」や「世界平和」といった目的性を冷却し、共同性の中でそれなりに楽しく生きていく。私の読みとりがまちがっていなければ、「別にそれでいいのではないか」、「社会よ、若者に夢をあきらめさせろ」というのが、どうやら古市さんの言いたいことらしい。

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私自身は19歳でピースボートに乗船した。厳密に言うと、それまでに大阪のピースボートセンターに5ヶ月間足繁く通っていたので、ピースボートというコミュニティとの関わりは18歳からである。大学に入学して、すぐのこと。大学生活に刺激がなく、つまらなくなって、以前から知っていたピースボートのボランティア説明会に行ってみたのが最初だった。


ピースボートに濃密な共同性があるのは間違いない。「みんな大好き!」と心の底から言えちゃう感じ。7年経った今でも、つき合うメンバーはさすがに限定されてきているけれど、会えば昔に戻ったように、安心できるし、話は盛り上がり、ハッピーになれる。私にとっても、ピースボートは「承認の共同体」だったし、薄まってはいるもののそれは今も継続している。

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書かれていることの中には、考えすぎじゃないの、シンプルに書き過ぎじゃないの、と思うところが何点かある。
例えば、ポスター貼りという行為が教化の役割を果たしている、とか。
まあ確かにそう言えなくもないけど、ピースボートはそこまで考えてないよ、最後まで船賃割引のためにやってるボラスタも多いよ、と思ったりする。もっとノリでやってるし、「人を乗せなきゃつぶれちゃう!」でも「若者に乗ってもらいたい!」じゃあポス貼りだー!みたいな勢いでやってると思う。まあ、結果的にそういう機能を果たしている、ということを言っているのだろうけれど。


また、タテ軸に共同性、ヨコ軸に共同性を置いた「セカイ型」「文化祭型」「自分探し型」「観光型」の分類も、分かりやすいものの、今ひとつピンと来ないところがあった。特に「自分探し型」がよく分からない。「自分探し」=「難民問題に関心があって・・・」っていうのはなんか違うのではないだろうか。「自分探し」をしている人の関心は、「自分はどう生きるべきか」「自分にしかできない仕事ってなんだろう」とか、そういうパーソナルなことなのでは?もちろん自分を探すプロセスで、世界や社会の課題に関わることで、アイデンティティを得ようとすることは多々あるだろうけど。
「自分探し」と「社会課題の解決/世界平和」という二つがごっちゃになって「目的性」として語られているように思うが、私はそこは明確に分けて考えたほうがいいと思う。


ピースボートというコミュニティはとても雑多なのだ。そこがおもしろいのに、そつなく4つに分類されてしまって、そこに重きが置かれておらず、もったいなく感じた。
運営者であるピースボート側の意図とは別に、ピースボートには、結果としての人の多様性がある。これは、政治色を薄めてきた「成果」である。(社会運動としてのピースボートが戦略的にやってきたのか、集客のために次第にそうなってきたのかは微妙。多分両方。)


ラバウルを通る前には、自主企画で「軍歌を歌おう」が始まったり、慰霊祭をしたいと特攻隊の生き残りのおじちゃんが言って「多くの英霊たちのおかげで・・・」みたいなヒダリの人からしたらありえない(!)話をしちゃったりする。でも、この時はピースボートは慰霊祭開催にGOを出した。これはとてもおもしろいことだったな、と今振り返ると思う。おそらくスタッフの中では議論がいろいろあっただろう。
カナダ人だったかオーストラリア人だったかの環境活動家が水先案内人(ゲスト)として乗って来た際、絶滅の危機に瀕しているクジラの保護のために捕鯨をとめよう、と主張したのだが、「クジラを食うのは日本の文化、なんであんたに非難されなきゃいけないのか。しかもクジラが絶滅しそうなのは日本が乱獲したからじゃないわい!」と食ってかかるおっちゃんがいたりもした。
また、「イラク人質事件について考える」というマジメでヘビーな企画の裏で、「すね毛自慢コンテスト」なる、どーーでもいいアホな企画が行なわれていたりする。
右の人も左の人も、アホな人も真面目な人もいて、その雑多さがおもしろかったし、醍醐味だったと私は思っている。

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古市さんは、例えば「9条を守ろう」というような、ピースボート側から船内で発信される政治的なメッセージに対して、若者たちは「この人が信じられるから、この問題も信じよう」となっていく、と書いていたが、そういうところは確かに一理ある。
しかし、それを言うなら、ピースボートの雑多な船内には「この人がこう言ってるから、きっとそうなんだ」は無数にある。親しくなった人と、また別の親しくなった人の意見がぶつかってることもよくある。例えば私の場合。ピースボートのある友達は「天皇制ありえねー」と言い、ある友達は「天皇制はすでに文化。女系天皇容認?そこに男女平等なんていらないよ」と言う。それで自分も「うーん、実際どうなんだ?」と考えはじめたりするわけで。
私の場合はそういう人の多様性の中で、自分がこれまで持っていた価値観が周囲の大人の価値観への同化でしかなく、「自分の価値観」ではなかった、と感じ、自己の価値観を根本的に見つめ直すことになった。まあ、確かにその中でもスタッフからの影響力は特に大きいのは間違いないけれど。


船のトラブルへのピースボート・ジャパングレイスの対応に対し、異議申し立てをした年配者のTさんたち、なんとかピースボートを維持継続していこうと動くスタッフ、それに同化し「けんかしないで」「なぜ仲良くできないのか」と涙を流す若者、他の参加者たちは、ある人は冷ややかに、ある人はいらつきながらその状況を見ている。そして、その中から、両者の調停をし対話を促そうとする人が出て来たりするのだ。これら全部をひっくるめて「ピースボート」であり、この総体としてのおもしろさが「ピースボート」のおもしろさだと私は考えている。

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古市さんの、「自分探し」の結果「自分は自分」という結論に達し、あきらめていく若者が多かったという実感は私も共有できる。筆者もこの現象を「大人になる」と表現しているが、私もこのことは肯定的に考えている。多くの自分探しの若者たちは、探しても自分はここにいて、考えるべきはどんな自分になりたいか、そのために何をするか、なのだというところに落ち着く。これは、「地に足がつく」ということだろう。「どこかにいるはずの理想の自分」に夢を見てふわふわしてるより、ずっと建設的だと思う。その意味で「自分探し」という目的性を手放させろ、「あきらめさせろ」という点には共感を覚える。
ただし、さっき書いたように、「目的性」を「自分探し」と「社会課題の解決/世界平和」に分けて考えるならば、後者については、あきらめてほしくない、関心を失ってほしくない、と思う。自分自身は「社会のせいで」困ってはいないかもしれないが、自分もその一員としてコミットしている社会や世界の中に多くの問題があり、それによって苦しむ人が厳然と存在するのだから。コミュニティによって承認を得、幸せになれる、というのはあくまで個人の問題。その先の、他者への想像力や社会形成へのコミットメントは、やはり持ちたいし、持ってほしいと思う。


世界が自分の背景でしかない、と言われるとなんだかマイナスに聞こえてしまうし、結局自己完結かよ、社会にアプローチしないのかよ、と言われることもあるだろうが、社会の問題や世界の問題を、自分のあり方とつなげて考えるって大切なことだ。外にばかり目を向けて、被建設的な非難を繰り返す一昔前のサヨクやウヨクの人たち(今もいるけど)に比べると、至極誠実な気が私はする。
問題意識のベクトルを自分に向ける。私がどう生きるかという問題とどんな社会をどうつくるかという問題は、ダイレクトにつながってるんじゃないだろうか。
「私」から始まらない社会変革なんて、私は気持ち悪い。きっと実態が伴わないし、社会の流れが変わったところで、大多数は流されている、という事実は変わらない。
社会変革が、「私」から始まって、「私」で完結しちゃったら「エーッ」って感じだし、それはそれで気持ち悪いが、「私」から始まる、という点に関しては、やっぱりそれって真っ当なんじゃないかと思う。
「自分が変われば世界が変わる」とは思わない。でも「私が変わることから、世界を変え始める」は、さまざまな社会課題に対するとき、真っ当な立ち方だと思う。

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ちなみに、古市さんは文章がうまい。パッと目にしたときに、読んでみたいなと思わせるコピーライトのセンスがあると思うな。学者の人たちになかなかない気がして。こういうの、大事だと思う。


ともかく、一読の価値ありです。おもしろかったー。
ピースボートや若者やコミュニティに関心もある人はぜひ。

【告知】不登校・フリースクールと出会う、映画上映&トークイベント

CORE+の関東ツアーの際にとってもお世話になった、シューレ大学の朝倉さんから連絡をいただき、今回、下記のような映画上映&トークイベントを行なうことになりました。
シューレのこどもたちが制作した自主映画を上映した後、製作に関わったシューレ大学OG
と、シューレ大学スタッフの朝倉さんを及びしてのトークを行ないます。


ぜひぜひお越しください。
20名限定となっていますので、お申込はお早めにお願いいたします。


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   東京シューレ創立25周年記念・映画上映会
      〜不登校、そしてフリースクールとの出会い〜


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不登校ってどんな気持ち?」
フリースクールってどんなところ?」


そんな疑問を抱いたことはありませんか?


フリースクールに興味がある、
  でもなかなか触れる機会がない・・・」


そんなちょっとした興味や疑問があればぜひ足を運んでみてください。


この度創立25周年を記念し
東京シューレのこども若者による映画上映会が行われます。


映画は自身の不登校の経験やフリースクールとの出会いを題材にこどもたち自身が製作したものです。


こどもたちによる映像作品とあわせて
25周年を迎えた東京シューレの歴史映像も一緒に上映されます。


上映後は、映画を見ての感想共有と
東京シューレのスタッフ・制作者の1人であるシューレ大学OGへの質疑応答を予定しております。


フリースクール東京シューレとは?
今年で創立25周年を迎えたNPO法人が運営する学校外の子どもの居場所・フリースクールです。
フリースクールは都内に2ヶ所(北区王子・新宿若松河田)、千葉県に1ヶ所(柏市柏の葉)あり主として不登校の子が活用しています。
6歳から20歳までの子ども・若者がいつでも入会できます。
また、全国の在宅不登校家庭をサポートするホームエデュケーションネットワーク・ホームシューレや
18歳以上の知的探求の場・シューレ大学などの活動を展開しています。
東京シューレHP
http://www.shure.or.jp/
シューレ大学HP
http://shureuniv.org/top/


【開催日時・場所】
日時:11月19日(土)
   受付13:00/13:30開始16:30終了
場所:navel cafe(阪急神崎川駅下車)
   http://navelcafe.exblog.jp/
住所:大阪市淀川区三津屋北1-28-16
参加費:¥500(軽食あり)
先着:[20名]


【申込方法】
以下のメールに
①氏名
②ご職業
③携帯番号
を記入の上お申し込みください。
申し込み先:project.core.plus@gmail.com


おしゃれなカフェでまったり映画を観て楽しくおしゃべりしませんか?
お友達とのご参加も大歓迎です!お申込みお待ちしております。


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もやもやしております。

北海道に来ている。
小学校の時以来、15年ぶりぐらい。その時もかなりいろんなところを回ったけれど、今回は目的が明確。暮らしづくりのスタディツアープロジェクトで企画した、スタディツアーなのだ。

私は今朝釧路でみんなと合流したけれど、みんなは昨日すでに浦河でべてるの家を見学。
すごくよかったみたいで、見学をすすめられたので、31日にスタディツアーが解散して以降、一人で訪ねてみようかと思っている。
べてるの家 http://bethel-net.jp/

今日は六花亭のカフェでお茶をしたあと、釧路の巨大NPO「地域生活支援ネットワークサロン釧路」の活動拠点3つを訪問。
■地域生活支援ネットワークサロン釧路 http://n-salon.org/

ここは、私の職場である北芝と関わりが深いNPOで、内閣府の事業であるパーソナルサポートサービスを、うちがやるキッカケになったところでもある。

訪問した3つの拠点のうちの一つ、コミュニティハウス冬月荘では、中3の受験生たちを対象に、土曜の日中、「Zっとscrum」という学習会を運営している。
学習会なのだが、内容はフリーダム。勉強したいと思った子は勉強し、思わない子はしなくてもOK。
私は、受験を前にした中3を目の前にしたときに、もちろん関係性によってバランスはとるけれど、基本的には「勉強しーや、高校行ってないと選択肢が狭くなるで」と伝えるし、状況によっては、半強制的に勉強させることもある。それが、いいのか分からないけど、そうしてしまう。
それが、冬月荘にはない。でもそれがいいのかも私にはよく分からず、もやもやとした。
このもやもやは今回初めて感じたわけではなく、北芝でこどもと関わってても思うことだけど。

職員の皆さんや冬月荘の住民のみなさんと一緒に、おいしいご飯をいただいた後、宿に戻って振り返り。
競争によって、ブラッシュアップされることは大事じゃないかという話も出た。
福祉に関わる人は、常識を持っていないといけない、という話にもなった。
「ジョウシキ」とか「キホン」があるということが分かって、身について初めて、他の選択もできる。その前にしているのは選択じゃない、というような話。
さらに、常識には2つあるんじゃないかという話も飛び出した。
ひとつは、世の中的常識があり、その人が「常識外」であることを認識できる=そのままでは社会的に受け入れられない、ということを認識でき、それを問題と思える、ということ。もう一つは、その常識を突きつけることでその人の世界を否定してしまうかもしれないと想像することができるという常識。うーーーーん。

社会をどう捉えるのかという話も。
「適応」とか「順応」とか言われると拒否反応が自分の中で出る。
社会は、変わらない既存のものである、と思って適応っていってる人と、そうじゃない人がいるのかも。単なる言葉の違いなのか価値観の違いなのか。

いろいろ話は尽きませんが、そろそろ寝ます。

母校の後輩に送る、私的幸福論

母校:大阪府柴島高校の先生に頼まれて、卒業を前にした3年生に向けてメッセージを書いたので、転載。
今の私の、幸福論のようなものになりました。


* * *


 今、私は自分が立ち上げた団体で教育をテーマに「場づくり」や「ネットワークづくり」をやりながら、箕面NPOで、教育部門の職員としてある「まちづくり」の仕事をしています。収入がすごくいいわけではありませんが、何とか生活はできるし、やりがいもあり、自分の働き方や生き方には、納得感を持っています。


 実は、今しているどちらの仕事にも、共通の目標があります。「私の人生は私がつくってる」「私たちの社会は私たちがつくってる」と肯定的に言える大人が増えてほしい、ということです。


 私は、柴島高校のすぐ近くのまちで生まれ育ちました。今思うと、周囲には、家庭が複雑だったり、経済的に厳しかったり、どんな仕事や生き方が、自分にはできるのか、そのモデルになるような大人も少なく「自分の人生を自分で選びとっている感」があまり持てない、そんな友達がたくさんいたように思います。そのことが、今の私の仕事や活動の原点にあります。


 一昔前と違って、いい大学に行き、いい会社に入れば幸せになれる、なんて思っている人は、今の高校生のみんなの中にはほとんどいないでしょう。「物質的な豊かさ=人生が豊かさ」じゃないことも、多くの人が気づいていると思います。そんな正解のない時代に、どう生きていけばいいのか。これは、すごく難しい問題だと思います。


 もちろん、人生すべて思い通りにいくなんてことはありえません。いろんな不可抗力で、理不尽なことも起こるし、「納得なんかできるかー!」と思う人もいるかもしれない。それでも、自分が選んだり、受け入れてきた人生に、諦めではなく納得することができたら、それって幸せじゃないかと思うのです。


 「私の人生は私がつくってる」ということは、言い方を変えれば「私の人生には私が責任を持つ」ということです。責任を持てる、というのは実はとても自由なことです。誰が何と言おうと、責任を持って自分の人生を選べる、つくっていける、ということです。そして、同時に、人のせいにはできないと言うことです。


 社会についても同じです。「社会がおかしい!」と理不尽な思いをすることが、これまでもあったかもしれないし、これからもあるでしょう。こどもは社会をつくるプロセスに入れてもらえないことが多いので、これまでは単純に「どないなっとんねん!」と怒っていていい立場だったかもしれません。でも、高校生はもう大人。もしくは、もうすぐ大人です。これからは、「こんな社会」をつくっているうちの一人になるわけです。そこには自由と責任が発生します。めんどくさいかもしれませんが、これも、実は、大変だけどワクワクすることだと私は思います。いろいろ工夫をしながらチャレンジをして、自分が「つくりたいもの」をつくることができる。誰かが勝手につくった社会で生きさせられることや、何となく決められたレールの上を歩かされる人生と比べて、これって、希望にあふれていると思いませんか?


 迷ったり悩んだりしながら、「こんなふうに生きてきたんだ」と納得できる人生を、そして「こんな社会で生きたいと納得できる社会」をみんなにはつくっていってほしいと願っています。